サイドコア――ポストモダン以降の日本美術と「ストリートの感性」

日本の現代文化は、しばしば80年代にその素地が準備されたと言われます。東京ディズニーランドの開園、任天堂ファミリーコンピュータの発売、糸井重里に代表される広告的想像力の台頭、ニューアカデミズムによる知の大衆化、新人類と呼ばれる新しい若者たちの出現――バブル経済とも足並みをそろえて進行したこれらの潮流はときにポストモダンとも形容され、趣味や消費が多様化したとされる現在のわたしたちの生活にも通奏底音として流れこんでいます。

日比野克彦(1958年–)は、そのような80年代の雰囲気が生んだアーティストのひとりです。同時代のニューヨークで活躍したジャン=ミシェル・バスキアやキース・ヘリングにも比せられる躍動的なダンボール絵画で注目を集めた日比野は、国際的に息づいていた「ストリートの感性」を日本で美術の文脈に落としこんだ最初の作家と考えることもできます。さらに桜木町東横線高架下に壁画をかいていたロコ・サトシや、レゲエ音楽シーンでライブペインティングを開始するカッズ・ミイダの登場など、しばしば見落とされがちですが、80年代はのちに「ストリートの感性」へと連なっていく視覚表現の胎動期でした。当時はまだ商業イラストレーションの色も強く、ストリートという言葉が特定の像を結ぶほど一般性を獲得していなかったことを踏まえればこれらの先達を「ストリートがストリートになる前の、漠然とストリート的なもの」として捉えなおすこともできます。

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90年代にはいると、日本ではそのような「ストリートの感性」が美術からは少しずつ遠のいていきました。それはむしろグラフィティという独自のコミュニティとして――的なものではなく――はっきり自律した輪郭をもつに至り、2000年前後には雑誌スタジオボイスや裏原宿のファッション文化とも呼応します。また日本独自のライブペインティングの動向がそこに並走するなど「ストリートの感性」はサブカルチャーのなかに主要な位置を占めるようになるのです。この頃にロコ・サトシらの壁画からエアロゾルのグラフィティへとかき換えられていく桜木町の風景もまたそれを物語るでしょう。それは「ストリート的なもの」が「ストリート文化(カルチャー)」として様式化されていくプロセスでもあり、それに対する美術からのほぼ唯一の応答、あるいは帰結として窪田研二のキュレーションによるX-COLORグラフィティ  in Japan』展(2005年、水戸芸術館現代美術センター)が挙げられます。

この一連のプロセスが結果として、美術の制度性とそれに抵抗するストリート文化という対立の図式を描きだしていったこともまた確認しておく必要があります。2000年以降にカルチュラル・スタディーズの文脈でこの図式が前景化されると、「ストリートからの抵抗(レジスタンス)」という旧型の物語がたちまち呼び戻され、もともとグラフィティ文化とは異なる出自をもち新宿駅のダンボールペインティングで知られる武盾一郎1968年–)や、常に話題をさらう英国のバンクシーなども含め「ストリートの感性」を文化左翼的な視座からまとめる論調が一部で強まります。しかしバンクシーの実践は素朴に反体制的なものではなく、濃密な美学をふんだんに含んでいますし、また武のダンボールペインティングは公共空間におけるゲリラ的ジェスチャーとしてだけではなく、日比野のそれと結びつくようなヴィジュアルアートの文脈に置きなおして考えることもできます。現在の武が、本来やりたかったという緻密なドローイング作品の制作に集中していることからもそれは伺えるでしょう。

 他方で90年代以降の日本美術の本流においては、オルタナティブとしてのサブカルチャーという言葉はむしろ、漫画やアニメ、近年ではピクシブといったドメスティックな事象を指す傾向が顕著になっていきました。その起源には特撮やプラモデル、漫画やアニメを美術の対象として論じた雑誌・美術手帖の特集「ポップ/ネオポップ」(1992年3月号)があります。この文脈はしばらく支配的に作用し、たとえば天明屋尚(1966年–)はグラフィティを絵画のモチーフとして採用する稀な作家ですが、あくまでヤンキーやコギャル、入れ墨、大和絵などのサブカルチャー化された日本的アイコンの枠組みのなかにそれを並置します。あるいはバリー・マッギーとの交流も深く、落書きの作法を取りいれながら制作をしてきた奈良美智(1959年–)のような作家でさえ、これまで「カワイイ」や「幼児性」という日本的なキーワードでのみ語られてきてしまいました。しかし奈良作品の根底に、より普遍的な 落書き(グラフィティ)の初源性」が透けて見えるのもまた事実です。

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では、2012年現在に目を転じるとどうでしょう。国際的にはここ数年、テートモダンやカルティエ現代美術財団、ロサンゼルス現代美術館などをはじめとする世界の主要美術館がストリートアートをテーマにした大規模展覧会をおこなっています。日本ではそのような大きな動向にまでは到達していないものの、美術かサブカルチャーかという図式的な対立を飛び越えたところで、グラフィティやストリートアート、ライブペインティングなどの影響を独自に咀嚼しながらユニークな表現活動をおこなう若い世代の作家がふたたび増えてきています。また建築や都市論、社会学や文化批評の現場でこれらのテーマに対する関心が高まりつつあることも見逃せません。

ここ十数年の急速な様式化がときに硬直した印象をもたらす「ストリートの文化」を横目でにらみつつ、あいまいで断片的な、だからこそ個別の仕方で立ち上がる複数化した「ストリートの感性」。それは、かつてのバスキアや日比野が体現した「ストリートがストリートになる前の、ストリート的なもの」とどこかで共振するかのようです。ただし現在の「ストリートの感性」がこれまでに比べ、きわめて複雑で広大な文脈や方法論を内包しているという点が重要な差異として直ちに指摘されます。いまや美術とストリートの関係は新表現主義やポップアートといった既存のトレンドに回収された80年代とも、あるいはサブカルチャー枠や反体制の物語へとコミュニティ単位で組みこまれていった90年代以降の姿とも遠いところで、作家ごとのユニークな営みの核においてバラバラの輪郭としてこそ見出されるべきものなのです。

路上の真ん中で大文字のストリートを叫ぶのでも、美術家としてスタジオから路上を眺める傍観者にとどまるのでもなく、むしろ路傍(ロードサイド)に立ちながら、それぞれの作家性(コア)において美術とストリートの輪郭をそれぞれ複数化(バラバラに)していくこと――本流(メインストリーム)に対する亜流(オルタナティブ)はときに本流の強化へと反転しうることを経験的に知る作家にとって、そのような「サイドコア」の探求こそがいまや急務としてあります。本展は、ポストモダン以降の日本美術における「ストリートの感性」の系譜にひとつのサイドステップを踏むことで、そこに補助線を引きつつもただ収斂するわけではない、各作家の多様かつ意欲的な取り組みを紹介する場として組織されています。またそれは世界同時多発的(グローバル)なストリートアートのムーブメントに同期しつつも、それが複数的(バラバラ)に散逸していく先で、日本というローカルな(コア)を起動するものでもあるのです。

(大山エンリコイサム)